"本書の中心的なメッセージは「人はそう簡単に人を殺せない」という一見当たり前に見えるものだが、その内実は非常に衝撃的だ。第二次世界大戦における米軍の歩兵のうち、戦闘中にライフルを発砲した兵士はわずか10〜15%しかいない、というのである! 残りの者は自分や同僚の命が危うい状況であっても発砲しようとしなかったし、発砲した者の内にもわざと当たらないように撃った者が含まれている可能性がある。では兵士の大半は「腰抜け」なのか? そうではない。彼らは負傷者を救助したり弾薬を運んだりといった、より危険な「任務」を積極的に引き受けることによって発砲を回避しているのである。これは第二次世界対戦の米軍に特有なことではなく、むしろ歴史的にみて普遍的な現象である、と筆者は言う。平時ならソシオパスと呼ばれるであろうようなごく少数(本書によれば2%)の人間を除けば、人は自分の命が脅かされている状況でも人殺しを避けようとするのである。"

『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)

こういうの僕はリアルだと感じてしまう。

(via flood)

(via markie)

(via otsune) 2008-02-11 (via gkojay) (via yangoku) (via yaruo

)

ということは、その多くとも10~15%にあたる人間だけが、すごく沢山の人を殺しているということで、そりゃそういう人は戦争から戻ってきても居場所がないよなぁ。

(via asobiya) (via yamato)

(via mitaimon) (via takaakik)

(via plasticdreams) (via ginzuna) (via msnr) 送り込まれる兵士のうち、100人に10人は足手まといです。80人は標的になっているだけです。9人はまともな兵士で、戦争をするのはこの9人です。残りのひとりですか。これは戦士です。このひとりがほかの者を連れて帰ってくるのです。(『「戦争」の心理学』より古代ギリシアの軍隊指揮官の手紙) (via error888, morutan) (via mooljot) (via halusame) (via klaftwerk) (via rairaiken424)

(via zaki123) (via g0nsuke)

(via aftersunday) (via kkura01413kn) (via ibi-s)

(via nun156848) (via madoctopus) (via saharap)

(via chiha72) (via konishiroku) (via komahiko)

(via edieelee) (via skamio) (via kiri2) (via clione)

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誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13
By 鉄拳

レビュー対象商品: ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) (新書)

「まえがき」と「あとがき」によれば、本書はキリスト教というものが何であるかを明らかにすることを目的としているとのことです。しかし、本書に少しでも目を通せば分かることですが、本書で説明されるキリスト教は(そして、ユダヤ教やイスラム教などは)、主に橋爪大三郎氏による誤解と偏見と勉強不足の産物以外のなにものでもなく、つまりは現実のキリスト教を(そして、ユダヤ教やイスラム教などを)理解する助けとは 全 くなりません。

言うなれば、本書は橋爪大三郎氏が勝手に考えたキリスト教を描き出し、それを使って都合よく社会的な事象を説明している、ファンタジー小説です。ですから、本書を読んで面白いと感じられた方は、それを知的興奮と誤解されないよう気をつけられたい。

また、本書には基本的な誤り(キリスト教あるいは聖書をきちんと勉強している者であれば決して間違えないようなもの)が多く、更に、他の宗教、特にキリスト教を説明する際に引き合いに出されるユダヤ教に対しては一昔前の差別的な誤った学説がそのまま踏襲されている箇所も見受けられ、これらの点については橋爪大三郎氏と大澤真幸氏に驚くとしか言いようがありません。

ただし、橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の主張、つまりキリスト教を理解していない日本人が多い、というもの、は正しい。これは、本書に対する肯定的な評価が多いことが示している通りです。

(以下、『ふしぎなキリスト教』における問題点の一部を挙げる。これだけの誤りがある本が、本当にキリスト教を理解するために役立つと、このレビューを読まれた方は思われるだろうか。むしろ、本書によってこそ、読者のキリスト教理解は遠ざけられていると皆様は考えられないだろうか。

・「ユダヤ教もキリスト教も『ほとんど同じ』なんですと橋爪氏(16頁)
→確かに「議論のはじめなので、ユダヤ教についても、キリスト教についてもよくわからないという前提で」ユダヤ教とキリスト教の「関係を端的に」のべると、という断りがあるが、しかしいつの時代のユダヤ教或いはキリスト教が同じか、ということも語らないような、飲み屋談義で本書ははじまっているのは明らか。ユダヤ教もキリスト教も21世紀の現在のような形に突然なったわけではない。ここでもう既に橋爪氏は学問的正確さを投げ捨てていると言えよう。

・「『メシア』はヘブライ語で、救世主という意味」と橋爪氏(17頁)
→ヘブライ語では勿論皆さんご存知の通り「油注がれた者」。このくらいのレベルから間違えている。

・「『神の子、イエス・キリスト』」は預言者ではない。預言者以上の存在です。なにしろ本人が神(の子)なのですから」と橋爪氏(17頁)
→以下でも繰り返し指摘することになるが、橋爪氏は「神の子」という概念を全く分かっていないことが既にここで明らかとなっている。このように、「神の子」というキリスト教にとって重要な概念を全く知らないにもかかわらず、橋爪氏はキリスト教を解説しようというのである。

・「Godを信じるのは、安全保障のためなんです」、と橋爪氏(23頁)
→ユダヤ教徒をここまで馬鹿にした言説を語るとは、と呆れてしまう。

・「イエス・キリストは『愛』をのべて」ユダヤ教の神に対するよそよそしい関係の「大転換が起こるんです」とは橋爪氏(23頁)
→確かにイエスは神と隣人を愛せと命じたが(マルコ12章30節など)、これはユダヤ教にとって重要な教えであり、それをイエスは繰り返したに過ぎない(イエスの言葉は申命記6章4節以下及びレビ記18節からの引用)。大転換でもなんでもなく、ユダヤ教の教えそのもの。なお、「愛」をイエスは教えの中で実はそれほど強調していない。むしろ強調したのはパウロである。橋爪氏は誤った通俗的キリスト教理解に従っているだけであり、宗教社会学者として問題であろう。

・「以下、マックス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』(名著です!)を下敷きに説明します」と橋爪氏(26頁)
→確かにマックス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』は名著だが、21世紀の今、古代ユダヤ教を説明するための情報資料として用いるというのは、ユダヤ教についての最近(と言っても、約100年間)の研究を無視します、と言っているようなものである。これはもはや知的怠慢としか言いようがない。つまり、「3 ユダヤ教はいかにして成立したか」「4ユダヤ民族の受難」は、正確な知識を求めて読むような個所ではない。

・「イエス・キリストの時代には、神殿で儀式を行う人びとはサドカイ派、律法を守る人々びとはファリサイ派」と橋爪氏(33頁)
→まったくの間違え。こんなことを書いた橋爪氏も恥ずかしいが、これを出版した講談社もどうかと思う。

・「律法学者をラビと呼びます」と橋爪氏(34頁)
→「ラビ」とはヘブライ語で「私の先生」。学者ではなく奇跡行為者であるハニナ・ベン・ドサが「ラビ」と呼ばれていたことを、橋爪氏はどのように考えられているのだろうか。このような適当な説明は、ラビ、という尊称は案外と難しい問題であることを覆い隠してしまっているので、問題。

・「初代のサウル王は、北側のベニヤミン族の出身だった」と橋爪氏(41頁)。
→ベニヤミン族は南側というか中央部。

・「イスラム教は勝ち組の一神教。ユダヤ教は負け組の一神教。どちらが本物かというと、負け組のユダヤ教だと思う」と橋爪氏(44頁)。
→宗教に「勝ち負け」をつける神経は全く信じられない。比較宗教学とは宗教の勝ち負けを考える学問なのか?

・史的イエスについての証言は「ユダヤ教側の文書とか、イエスを十字架刑で処刑したローマ側の文書」には見当たらない、と橋爪氏(134頁)
→ユダヤ教側の人物であるヨセフスは『ユダヤ古代誌』18巻でイエスについて言及している。これは後代の付加であり、ヨセフスが元来書いたものではないとの議論があるが、それを橋爪氏は知っているのだろうか?

・イエス・キリストについての証言は、複数あったほうがよいといえるから、「四つの福音書が新約聖書に残った」と橋爪氏(139頁)
→正典成立史をご存じないのか、勉強するつもりもないのか。まさかこんな理由で複数残ったわけではない。

・「いつキリスト教が成立したかというと、それは、パウロの書簡によってである」(139頁)
→根拠はパウロが「イエスの十字架の受難を意味づける教理を考えた」から、というが、その「教理」は徹底的にユダヤ教の聖書に基づいて形作られている点で(パウロはユダヤ教の聖書を引用して自身の議論を補強している)、ユダヤ教の枠内に留まっている。つまり、パウロはユダヤ教徒である。

・「預言者エリヤは、生きたまま天に上げられたと信じられたので……、再来してもおかしくない」と橋爪氏(151頁)
→エリヤは終末前に再来するという思想があったことを知らないのか?(マラキ書3章23節)

・「メシアは、救世主なので」(152頁)
→他でもこのようなことを言っているが、メシアは神からの任を受けた人のことであって(それを象徴的に示す儀式が「油を注ぐ」こと。ヘブライ語のメシアは直訳すれば「油注がれた者」という意味であるのは、このため。間違えても「『メシア』はヘブライ語で、救世主という意味」だ(17頁)と言ってはいけない)、メシア=救世主と断定できない。ちなみに、パウロは自分たちも「油注がれた者」と言っている(2コリ1:21)。

・「イエス・キリストは『神の子』だ、という考え方は……もう、ユダヤ教の考えではない」と橋爪氏(153頁)
→ユダヤ教の聖書(所謂「旧約聖書」)には「神の子」が複数出てきている。とすると、ユダヤ教の聖書はユダヤ教の考えではないというのだろうか?つまり、イエスが神の子だとしても、その考えはユダヤ教の枠内に収まっている。別におかしくない。

・「イエス・キリストは『神の子』だとする考え方を、確立したのはパウロです」と橋爪氏(153頁)
→ありえない。パウロは手紙においてイエスが神の子だということを、共通の認識として記しているので、パウロ以前と考えるのが妥当。大体にして、橋爪氏は「神の子」という概念を間違えているからこのようなことを言っているわけで、「義しい人」であれば「神の子」と言われる伝統は、ユダヤ教に見受けられる。例えば知恵の書2章18節。

・ペテロのキリスト告白に対して、イエスは消極的な肯定だと語る大澤氏に、橋爪氏は「それはマタイ福音書(16章16節)に書いてありますね」(157頁)
→消極的だと言うならばマルコ福音書8章27節以下を挙げるべき。マタイ福音書では、誰にも話さないようにとはペテロに言うが、キリスト告白に対しては肯定はしている。橋爪氏が福音書をきちんと読んでいないのが、ばればれである。

・「共観福音書ではごくわずかしか『神の子』という語は用いられていませんし、それらにしても、他人がそれほど深い思想的な意味も込めずに、思わずイエスをそう呼ぶ場面で出てくるだけです」と大澤氏(156頁)
→共観福音書で「神の子」は非常に非常に重要な言葉である。大澤氏と橋爪氏はイエスの洗礼の場面及び変容の場面でイエスはなんて言われているかくらい、調べてからこのように語るべきであった。読者に誤った知識を伝えるのが学者だろうか。

・「メシアはまず、軍事的リーダー、軍司令官なんです」と橋爪氏(158頁)
→「祭司的メシア」の存在をお忘れであろうか。祭司的メシア、即ち祭司の役割を果たすメシアは軍事リーダーであることを求められない。

・「ヘロデ大王の死語、四人の息子が国土を分割した」と橋爪氏(161頁)
→3人が正しい。大澤氏が「似たような名前の人がいっぱい出てくるので、こんがらがっちゃいますよね」と言っているが、だからこそ、きちんと調べるように。

・「ユダヤ教には、人の子という考え方はあったけれど、神の子という考え方はなかったと思う」と橋爪氏(167頁)
→旧約聖書をきちんと調べていないのが丸分かり。このレビューを読んでおられる方はヘブライ語やギリシア語が出来なくても、日本聖書協会の聖書検索
http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi?cmd=search&trans=ni&keyword=%90_%82%CC%8Eq
で日本語で旧約聖書に「神の子」が出てくることを調べられるので、確認して頂きたい。ここからお分かりになるように、165頁以降の「7 『神の子』というアイデアはどこから来たか」は、間違えだらけである。

・「エッセネ派は、裁きの日は近いと考えて、人里離れた山の中にこもり」、と橋爪氏(172頁)
→何を根拠にこんなことを言っているのだろうか。ヨセフスの『戦記』2巻第8章には「各町ごとに(共同住宅に)定住している」とある。

・「イエスは…死刑を覚悟していたわけだから、あまり時間がないんです。終末論的に行動していた、と言ってもいい」と橋爪氏(175頁)。
→死刑の覚悟と終末論的な行動は全く違う。何を言っているのだろうか?

・「ふつうのユダヤ教(パリサイ派)の考える復活だと、『その日』のあとにも、それまでの秩序が存続します」と橋爪氏(181頁)
→まず、ふつうのユダヤ教をパリサイ派としている時点で、アウト。パリサイ派のユダヤ教となったのは、イエスの活動後少なくとも40年以上経過してから(エルサレム神殿崩壊後)。「その日」、つまり終末後も「それまでの秩序が存続します」とは、何を根拠に言っているのか、不明。例えばヨエル書なんかを読めば、橋爪氏が間違えていることくらい、誰だって分かることである。

・「10 歴史に介入する神」(186頁以下)
→もう滅茶苦茶すぎてどこからどう突っ込めば良いのやら。ユダヤ教の無理解とパウロの思想の無理解とその後のキリスト教の思想の無理解を適当にブレンドして橋爪氏流の似非解釈を混ぜればこうなるのか。大体にして、これまでもそうだけれど、ここでも聖句引用あるいはラビ文献あるいは教父文書といった一次資料の引用が無いのは、引用できないからではないか、引用したら間違えがばれるからではないか。

・『最大の戒め』の話を挙げ、イエスは律法を「ほとんど中身ゼロにしてしまった」が、それはイエスによって「たくさんあった律法がたった律法が、たった二条になってしまった」から、と橋爪氏(196頁以下)
→どの律法が一番大事か、最大の戒めか、という問いは、ラビ(ユダヤ教の教師のこと)の議論に見当たり、その中でラビはある一条あるいは二条を最大の戒めとして挙げる、ということがあるが、彼らもそれで律法を「中身ゼロに」したのか?橋爪氏はラビ文献を知らないからこんなことが言える。勉強不足がここにも垣間見れる。

・「律法に強迫的にこだわりすぎて、律法を守ること自体を自己目的化する人が出てくる」と大澤氏(196頁)
→これは過去におけるユダヤ人差別の言説であり、大澤氏はユダヤ人差別をこの言説によって再生産していることを指摘しておきたい。近年の研究では、このようなパリサイ派理解は誤りであるとされている。

・「贖罪の論理」は「パウロの考えに基づいているのでしょうが」と大澤氏とそれを問題にしない橋爪氏(199頁以下)
→贖罪論はパウロが受け取った伝承である、つまりパウロ以前に成立していたとするのが一般的な学説である。

・贖罪の論理を同害報復の観点から説明する橋爪氏(200頁以下)
→ここは確かに橋爪氏は「よくわからない」と言ってから「私がいちばん納得しているのは」と話すから正直であるといるが、イザヤ書における苦難の僕についてくらいは書くべきであろう。これがイエスの死が贖罪であったとの解釈に大きな影響を及ぼしたと考えられているからである。

・「13イエスは自分が復活することを知っていたか」でイエスが「神の子」であると…、と論を進める橋爪氏(207頁以下)
→何度も繰り返し述べた様に、橋爪氏の「神の子」理解は誤っているので、「13イエスは自分が復活することを知っていたか」の議論は全て誤り。)

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Amazon.co.jp: ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)の鉄拳さんのレビュー

この著者たちならではの予定調和なのだろうけれど、これはあまりにイタすぎるな。

橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の本は、ほとんどすべてが間違った前提から始まるので、ほとんどすべてがトンデモ本になっているよね。間違った前提から始まるのは、単に時間を取って基礎的なコースワークをズルすることなくやって、複数の文献にあたって、というような勉強をきちんとしていない(できない)だけなんだが。つまり、この人たちは大人になったら、勉強が全くできなくなるタイプの人たちなんだよね。聞きかじった耳学問から駄弁やブルシットを永遠に紡ぐことができるという特殊能力はあるのだけれど。

今どき彼らのような間違った「異説」に引っかかる精神的中坊なんているのかな?いずれにしろ、彼らはブルシッターやトンデモであることが全くブレないから、その意味で(負の)信頼のブランドだね。

(via kashino)

(clioneから)

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【正確】「新幹線は、時計より正確だと聞いています」1975年5/12、名古屋駅から御乗車の直前、英国エリザベス女王からこのようなお言葉を頂きました。ところが。その日は大雨。既に上り新幹線が名古屋に到着する時点で2分の遅れが出ていました。更に女王陛下の172個のお荷物を積み込むのに時間がかかり、名古屋駅を3分遅れで発車となりました。更に更に、浜名湖付近で徐行し遅れは4分に。また、女王陛下に富士山をご覧頂く為にスピードダウン。三島通過までには一分の遅れを回復しましたが、残り120.7キロで3分を取り戻す事は不可能だと全社員が思っていました。(当時の新幹線は最高時即210キロでATCが作動し、自動的に減速されるシステムになっていました)そこで運転士は「制御がかかるギリギリ手前の“時速209キロ”で走る」事を伝えます。了承したものの指令室や東京駅には「定時到着」に諦めムードが漂っていました。しかし、この時運転士だけは「女王陛下のお言葉を違えぬ為に」と、自分の腕を信じて209キロで走らせ続けました。『品川、定時に通過!!』その一声に、沈んでいた指令室も東京駅も驚愕と大歓喜に沸き返りました。13時56分定刻、女王陛下を乗せた新幹線は、まるで何事もなかったように悠々とホームに入っていきました。

全てがシステム化されているかのような新幹線も、最終的には人のチカラで支えています。「安全を守る為にスピードを落とし、ダイヤを守る為にスピードを上げる」新幹線の微妙な動きは、総合指令で指令員がコンピューターの膨大なデータを元に正確な運行をハジキ出し、現場を把握する乗務員が機転を利かせバランスを計ります。スタッフ全員の使命感と地道な努力によって、安全と正確さが積み重ねられています。

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「東海道新幹線・小さな誇り」 (via karno)

(clioneから)

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[夜86] 助教授の悩み ksg 2003/07/19(Sat) 23:58 [返信]

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              告
                           5/15
                   理学部物理学教室 浅川

「科学哲学第二」のレポートは、5/31 までに1号館1階の浅川の
レターボックスに提出すること。このレポートを提出しない学生
には、単位は出ません。

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              告
                            6/3
                   理学部物理学教室 浅川

期限を過ぎて提出されたレポートは、いかなる理由があろうとも
受けつけません。締切を過ぎてもまだ私のレターボックスに「科
学哲学第二」のレポートを入れる者が居ますが、5/31 の午後
5:00 以降に投函されたレポートは全て破棄しました。

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              告
                            6/4
                   理学部物理学教室 浅川

「5/31 まで」と書いたら「5/31 の午後 5:00 まで」の意味です。
こんなことは社会常識です。

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              告
                            6/5
                   理学部物理学教室 浅川

他の教官が午後 12:00 まで受けつけていても、関係ありません。
反例を幾つ挙げようと、定量的に述べなければ意味がありません。

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              告
                            6/8
                   理学部物理学教室 浅川

なぜその熱意を使い、もっと早くにレポートを作成しないのか理
解に苦しみますが、とりあえず午後 12:00 まで受けつける教官が
過半数であることは理解しました。よって、6/15 の午後 12:00 
まで「科学哲学第二」のレポート提出期限を延長します。

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              告
                           6/10
                   理学部物理学教室 浅川

「6/15 午後 12:00 まで」ではなく「6/16 に浅川がレターボック
スを開けるまで」ではないか、との意見がありましたが、これら
は全く違います。必ず 6/15 中に提出するように。


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              告
                           6/12
                   理学部物理学教室 浅川

私のレターボックスに猫の死骸を入れたのは誰ですか。

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              告
                           6/13
                   理学部物理学教室 浅川

「私がレターボックスを開けた瞬間に波動関数が収束し、内部状
態が定まるので、レターボックスを開けるまではレポートが提出
されたかどうか分からない」と主張したいことは分かりました。

今回は、提出場所を1号館302の浅川研究室前のレポート提出
用ボックスにします。この箱は、6/15 午後 12:00 にシュレッダー
へと自動的に切り換わるので、シュレーディンガーの猫の問題は
発生しません。

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              告
                           6/16
                   理学部物理学教室 浅川

いいかげんにしなさい。午後 12:00 は「グリニッジ標準時」では
なく「日本標準時」です。これは常識以前の問題です。

普段は日本時間で生活しているくせに、レポート提出時だけグリ
ニッジ時間を求めるなど言語道断です。

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              告
                           6/18
                   理学部物理学教室 浅川

信じ難いことですが、「科学哲学第二」を受講する学生の過半数
がグリニッジ標準時で生活していることが分かりました。

夜型にも程があるとは思いますが、とりあえずレポートの提出は
6/30 の午後 12:00 GMT まで待ちます。

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              告
                           6/22
                   理学部物理学教室 浅川

時間の連続性についての疑義は受けつけません。どうやらベルグソン
の時間論を曲解している者がいるようですが、主観的時間がどうあれ、
7/1 の後に 6/30 が来ることはありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「それで、確かに君は 6/30 中にレポートを提出したというんだね?」
浅川助教授は皮肉っぽい口調で生徒に尋ねた。
「ええ、ギリギリでした」
まだ若い学生が無邪気に答える。
「だが、君のレポートは私の手元には無い。君は時間を間違えたのでは
 ないかな?」
「いいえ、日に 0.1 秒も狂わない、正確な電波時計を使っていますから。
 先生のレポートボックスこそ、時刻を間違えたんじゃないですか?」
「冗談だろう。GPS 補正で ±5 ミリ秒の精度で合わせてある」
「それで、24:00 GMT ちょうどにシュレッダーに切り換わるわけですね?」
「そうだ」
「うーーん。あ、そうだ。多分うるう秒の差ですね」
「うるう秒?」

「ええ。グリニッジ標準時、正確には協定世界時と言いますが、
これは太陽の公転周期から計算する平均太陽時と違い、原子時計によって
計られることになっています。この協定世界時と実際の天文時刻との
差を縮めるため、12/31 や 6/30 などの午後 24:00:00 に、閏年の2月29日
と同様の 1 秒を挿入することがあるんです。いやあ、このうるう秒の
間に僕はレポートを提出して、先生のシュレッダーが動作したんですね。
困っちゃうなあ。学生のレポートはもっと大切に扱ってくださいよ」

学生は目をキラキラさせながら答える。
科学哲学第二のレポートは、まだ集まりそうにない。

"

第28回嘘競演(23ページ)

(s-hsmtから)

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車のドアを閉めた時に発生するバタンとかガチャンという音、電気自動車の走行音、スタジアムの歓声、Skypeのボイスチャットで、無音時のかすかなノイズ、ATMがお札を出すときの音。これらは皆、偽音である。

ユーザーが車のドアを閉めた時、期待するような音がならないと、本当に閉まったのかどうか疑念が生ずる。そのため、車メーカー各社は、ドアがありそうな音を発するように、精密な設計をしている。ドアが閉まった時の音を鳴らす機構の特許も多数あるそうだ。

電気自動車は静かすぎるので逆に危険であるという観点から、それらしい走行音を発するよう義務付ける法整備が進められている。

スタジアムの歓声というのは、もちろん実際の歓声も含まれているが、実はスピーカーから流しているらしい。スピーカーから流すことによって、実際の見物客にも、歓声を出しやすくしているのだとか。

スカイプなどのボイスチャットでは、ノイズリダクションの技術を活用しているが、この技術は優れすぎていて、何も喋らない時は、完全に無音になってしまう。すると、ユーザーは、実は切断してしまったのではないかと疑念を抱く。そこで、まだつながっていることを示すために、かすかなノイズを流している。

最後は色々と議論があるようだが、ATMがお札を出すときの音は、実は偽物であるらしい。技術的に、ATMは紙幣を一瞬で出すことができるが、あたかも中でお札を動かしているような偽音をだすことによって、ユーザーをして、ATMがちゃんと仕事をしているのだという錯覚を生ぜしめるのだとか。

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本の虫: 偽音5つ (via hsgn)

Macのクリック音とか

(via yellowelephant)

(clioneから)

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現場には地元メディアの取材陣も駆け付けたが、主要国営紙はいずれも、24日の一面ではこの事故について触れなかった。第一報を伝えたのは中国の「ツイッター」にあたるソーシャルメディア「新浪微博」で、事故に関する最新情報や写真などが次々に掲載された。

事故後1日以上経ってから鉄道省が初めて記者会見を開くまでに、車内に乗客が閉じ込められているという情報や現場からの写真のほか、落下した車両をブルドーザーで破壊して残骸を埋めたという情報までが伝わっていた。

ネットでは、犠牲者の数から事故原因に至るまで、鉄道省の発表のすべてに疑問を投げ掛ける声が上がっている。新浪微博には「この国は世界で最も官僚主義がはびこり、最も冷血な官僚たちの温床だ」などのコメントが投稿された。ユーザーが実施した投票では、事故への政府の対応について、回答者の約90%に当たる3万人が「ひどい:我々を人間として扱っていない」を選んだ。

あるユーザーは新浪微博にこう書き込んだ。「ここは落雷で列車が衝突し、1台の車で橋が崩落し、牛乳を飲めば腎臓に結石ができる国だ。現代の中国は雷雨の中を突っ走る新幹線であり、われわれはみなその乗客だ」

"


CNN - 「人間扱いしていない」 中国政府の鉄道事故対応に批判噴出


hiromikubota:

[paidContent.org:「New Data Provides Deeper Profile Of Typical E-Book ‘Power Buyer’」

「書店アプリを提供する」とか中途半端な電子書籍(E-books)への新規参入はもうやめた方がいいと思います。iPadが登場して1年。電子書籍へ参入を表明した企業は数知れず。しかしながら、あれほど騒がれた電子書籍が日本に根ざさないのはなぜでしょうか? その理由について解説があっていいと思うのですが、なかなか見当たらないので自分のNOTEにだけ書きとめておきたいと思います。(※今回のNOTEでは“

" 気象予報士だって、たとえば雨天の到来を期して職を辞さねばならぬ条件下で勤務しているのであれば、容易に降雨を認めないはずだ。彼は精一杯抵抗するだろう。
「空気中の水蒸気が突発的に水滴化する事象が観察されてはいるものの、まだ降雨と呼ぶには足りない」
「一部において粒子の大きい霧が発生しているのは事実だが、全体的な観察からすれば、必ずしも雨天という認識には至っていない」
「地面への降水という局面に限って言うなら、ご指摘のとおり、土砂降りに近いデータは当方の観測所においても報告されている。しかしながら、豪雨という言い方は無用の混乱を招くので、この際、排除したい。断続的な空中水結晶の落下およびそれらの結果としての地表面への浸水というふうに理解している旨を申し上げてご報告にかえさせていただく」"

パニック回避の代わりに彼らが失ったもの - 小田嶋隆のア・ピース・オブ・ア・警句

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Facebook founder Mark Zuckerberg is taking on a new challenge.

“The only meat I’m eating is from animals I’ve killed myself,” he said.

The 27-year-old billionaire said since starting the odd challenge, he has killed goats, pigs and chickens.

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Facebook founder Mark Zuckerberg takes on new challenge — eating only the meat he kills

NHKニュース - 班目委員長“私は何だったのか”

「海水注入の中断がなかったのなら、私は一体何だったのか。何がどうなっているのか教えて下さいというのが、正直な気持ちだ。3月12日の時点においては、官邸と東京電力とのパイプはそんなに太いものではなかったので、もう少しやり方があったかもしれないと思うが、やむをえなかった点もあるとは思う」

(出典: www3.nhk.or.jp)